全国小学生陸上競技交流大会に出場して

 

大橋 会莉

 

 

 私はこの夏の全国小学生陸上競技交流大会に出場しました。

 去年のこの全国大会の県予選会では、7位で悔しい思いをしたので、今年の全国大会出場は、私の大きな目標でした。

 県予選会で、1位になって全国大会の出場が決まった時は、とてもうれしかったです。

 夏休みに入って、合宿に参加したり、毎日練習を重ねて行くにつれて、埼玉県代表選手として全国大会に出場するんだ。と何かじわじわとわき上がって来るものが出てきました。 時には、全国大会で自分が跳んでいることを想像して、きん張したりすることがありました。

 いつもの夏より暑い日が続いた毎日、全国大会の場で自己ベストを出すこと目標にがんばって練習をしました。

 そして、大会の前日に全国大会のぶ台になる日産スタジアムに行くと、すでに数多くの選手たちが練習をしていたので少々あせってしまいました。 何回か 跳やく練習をして行くうちにいつもと同じように跳べるようになり、あせりもすっかりと無くなってしまいました。

 大会当日、次から次へといろいろな種目の予選が始まりました。

 私が出場する女子走り幅跳びは、午後2時からでしたが、あっという間に時間が過ぎて行き競技開始時間になってしまいました。

 日産スタジアムは、上尾競技場と比べられないくらい大きな競技場でスタンドにはたくさんの人、そして大きな声援の中で行われたので少し緊張した中での1回目 「いつも の通り」と自分に言い聞かせて、思い切り跳びました。  振り返って審判の人を見ると赤い旗が高く上がっていました。 ファールでした。

 2回目の跳やくまでの間に「あ〜あ 3回ともファールで終わったらどうしよう。」 と心の中がグチャグチャな状態になってきまいました。

 そんな時に、暑い日に男子走り幅跳びに5年生で出場した坂本君といっしょにがんばって練習したことや練習の時に注意されたことなどを思い出しながら心を落ち着かせました。

 2回目の跳やくは、助走距離をファールした分だけ長くして跳びました。 白旗も上がり一安心しましたが、記録が4メートル46でした。

「これじゃ絶対に予選落ちになってしまう。」 と、また心の中がグチャグチャになって来ました。

 1回目も、2回目も 良い跳やくができませんでした。

 他の選手跳んでいる間ずっと「跳ばなきゃ。」とばかり考えていました。

そして、運命の3回目の跳やくに入る時に、ふと島村上尾市長のところに行く時に島村市長から大会のほうふは?と聞かれた時に言おうと 考えていたことばを思い出しました 「私は、走り幅跳びを教えてもらった 監督やコーチ、そして大谷小の和田先生に恩返しをするつもりで、自己ベストが出せるようにがんばります。」 のことばを突然思い出し 、

 「そうだ! そうだったんだ!」 今まで、いろいろなことを教えてもらった人たちに感謝の思いをこめて跳ばないといけないのだと思い 出しました。

 そして、その気持ちで3回目を跳びました。

 すると、今までお世話になった方々が、私の体を持ち上げてくれたかのような跳やくができて白旗も上がって4メートル60を跳ぶことができました。

 自己ベストではありませんでしたが 予選6番目の記録が出て上位8人でする決勝に進むことができてとてもうれしかったです。

 決勝では長崎の選手に、大会新記録の5メートル15の大ジャンプを見せられてしまうなど残念ながら記録を伸ばすことができず6位から7位になってしまいました。 自分では1回目の跳やくで予選を通過できるような記録を出して決勝で記録を伸ばして行くつもりでした。 それができなかったことがとても悔しいです。

 初めて全国大会に出場してレベルの違いを強く感じました。 来年、中学生になるとジュニアオリンピック、全日中などの全国大会があります、今回の貴重な経験を活かして、さらに上位をねらえるようにこれからもがんばって練習をして行きたいと思います。